オタク用語としての「尊い」は「萌え」を強調した意味として使われています。そこから転じて、単に「素晴らしい」「凄い」と感嘆の意味で使われるようになりましたが、一方で「萌え」を強調する意味は薄れたと言えるでしょう。そのため、半ば死語になりつつあるのが実状です。
オタク用語の「尊い」が死語となった理由
「尊い」は本来、崇高で近寄りがたい神聖な存在に対して用いられていました。厳しい修行を積んだ聖者や様々な知識を有する賢者などを称える意味で使われていましたが、オタク用語としての「尊い」は「萌え」を強調した意味として使われています。
憧れや好意を超越した、信仰心のような感情を古くから用いられている「尊い」の語句で表現しています。そこから転じて、単に「素晴らしい」「凄い」と感嘆の意味で使われるようになりましたが、一方でオタク用語としての「萌え」を強調する意味は薄れたと言えるでしょう。
そのため、半ば死語になりつつあるのが実状です。また、オタクコンテンツが多様化したことにより、ひとつの事柄にのめり込むケースが減少したことも「尊い」が死語になった理由です。
オタク用語の「尊い」の言い換え語
「尊い」が単に「素晴らしい」「凄い」などの感嘆を意味する語句として使われるようになると、オタク用語としての「萌えの最上級」の意味が薄れるようになりました。
自分は信仰心に近い意味での「尊い」として用いているのに、周りからは「凄い」程度の意味と解釈される可能性は否定できません。
自分の強い気持ちを一時的な感嘆と見なされることを忌避したいオタクの一部は「尊い」の言い換えとして「天使」「召される」などの語句を用いるようになりました。
いずれもキリスト教の死生観が根底にあり、人の姿を持ちながら神に近い存在である天使を憧れの対象に準えたのが「天使」を用いる理由です。「召される」もほぼ同じ意味であり、魂が天使によってあの世へ召されることを萌えのイメージとして表現しています。
また、「罪深い」も「尊い」の言い換え語句として使われる傾向にあります。元々「美しさは罪」など、人の心を惑わすほどの素晴らしい事柄を褒める際、比喩的な意味で「罪」と表現することがありますが、「尊い」の言い換えとして用いる際も同様の意味を持つと言えるでしょう。
オタクの心を惹きつけ、惑わせるほどの萌えは罪であるとの解釈から用いられるようになりました。