首尾一貫性にいささか難点を持つ「あざとい」は武器になり得るものの、結局のところ不誠実だと捉えられることが殆どでしょう。自身の魅力と相手の弱点を心得ているからこそ、「あざとい」を駆使して攻略しようという思惑が明け透けであり、気持ち悪いと思われても仕方ないです。
「あざとい」が気持ち悪いと思われる理由
首尾一貫性にいささか難点を持つ「あざとい」は武器になり得るものの、結局のところ不誠実だと捉えられることが殆どでしょう。自身の魅力と相手の弱点を心得ているからこそ、「あざとい」を駆使して攻略しようという思惑が明け透けであり、気持ち悪いと思われても仕方ないです。
半ば異性を騙すような形で己の利益を最大限向上させるような手段は、好ましく思われません。正々堂々と本心を晒け出していないのは言わずもがなです。本音を開示して、利害や損得を一切顧みず真っ直ぐ信念を貫く人こそが、信頼に足る人物だといえそうです。
「あざとい」のメリット
昨今、旧来の大和撫子のような理想の女性像は古い考え方とされがちであり、各方面のメディアで「あざとい」を売りにしたタレント含む著名人が人気を博しています。
処世術としても汎用性が高い「あざとい」は、相手や状況により対応を臨機応変に目まぐるしく変化させるものであり、地頭の良さを要する側面もあります。
また、あざとく振る舞う人たちはコミュニケーションや場の空気を読む感覚にも長けている傾向にある為、人気者になり易い、ないしは異性等からモテやすいというメリットが存在するのです。
「あざとい」のデメリット
しかしながら、先述のメリットと相反して、「あざとい」により生じるデメリットが存在することもまた然りと言えます。
「あざとい」ということはすなわち、相手やその場に応じて一貫性を欠いた行動が散見されたり、人間性の裏表や損得勘定、ないしは打算性さえ感じさせるということです。ともすれば、正義感の強い真面目な人達から見る限り、小賢しい者だという印象を持たれるのは禁じ得ないでしょう。
また、あざとい人たちに対して、嫌悪感を抱いている人から反感を買うことも往々にしてあり、思わぬトラブルに巻き込まれたり、得意としていたはずの人間関係でいざこざが生じてしまう危険性も抱えているのです。